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「空き時間」はもう無い

よく、モバイル系の新しいサービスやデバイスの発表などで使われる常套句として「通勤中の満員電車の中でも使えます」的なフレーズが使われる。
その気持ちはとてもよくわかる。なんとなく暇な時間を無くしたい、有意義な時間で満たしたいのが人間の欲求で、そういう意味で都市圏の日本人には一番わかりやすい例だろう。
しかし、最近、もーそれはないだろう、と思う。
というのは、自分は結構古くから携帯動画マニアで、PDAやケータイなどのモバイルデバイスに動画を詰め込んで悦に入る、ということを昔からよくやっていたのだけど、実際には使い勝手は最悪で使い物にならんよな、というのがいつもの結論だった。
しかし、そんな言い訳も、Video iPodを持ち歩いたり、ロケーションフリー+PSPを見るともう通用しない。十分便利だもの。やってて楽しいし。(iPodのビデオ周りの使い勝手が未熟、というつっこみもまだあるにはある...(苦笑))
ところが、実際に、自分は移動中に動画を観ない。
なぜなら、動画を観ていると、貴重な読書時間が無くなってしまうから。(最近はそれも資料読みなどで削られつつある)
つまり、前モバイル時代から、自分の移動時間の大半は読書というタスクのために既に予約済であり、それを置き換えるのはアイデンティティの崩壊(?)を意味する。そもそも、自分の場合、満員電車は空き時間ではなかったのだ。
出来るようになってみればわかる、ちゅうか前からわかってはいた、当たり前の結論である。実際、ある程度の年齢に達している人物なら、何らかの暇つぶし手段を持っているわけで、空き時間を使うのではなく、既存の暇つぶし・時間利用方法を置き換える、という発想に立つべきだ。娯楽や通信手段の争奪戦と同じ類の戦いが既に展開されている。もちろん、真っ白な白紙の若者には依然として、空き時間という観念で十分アピールすると思われる。
そういう視点に立つと、既に人間の空き時間はかなり少ない。既に我が家の空き時間は、仕事と複数の娯楽(読書・雑誌・技術書・テレビ・音楽・工作 等々...)で乱戦状態だ。実際HDDレコーダーの録画を見るのは消化試合に感じられる(観なくてわ、という義務感)。そして、さらに細かい空きブロックや、休日などの利用法を最適化するサービスを自分で作ろうとしている。
人生がせせこましくなった、的な愚痴をIT化の弊害とこぼすような記事を時々見かけるが、現実はそれどころではなく、ハードディスクのデフラグのように、最適化を推し進める時代に我々は住んでいる。その中で、より豊かな・楽しい・幸せな生き方とはどんなだろう? そんなことを考える今日この頃だったりする。